【映画】『パラサイト 半地下の家族』は人間讃歌か絶望か

今日は有休をとって、月1文化部の活動日※。

※月に1回は、映画を見る、芝居・ミュージカルを見に行く、美術館・博物館に行く、などなど、何かしら文化的な活動をしよう!という一人部活。

今月はカンヌ国際映画祭でパルムドール受賞し、アカデミー賞にもノミネートされている『パラサイト 半地下の家族』を見てきました。www.parasite-mv.jp

サスペンスっぽかったので、ツイッターで入っている断片的な情報以外は何も知らず鑑賞。結果、「この作品って、希望を描いた人間讃歌なのでは?」と感じると同時に、「見る人によっては絶望の物語なのかもしれない」とも感じた。

 

****以下ネタバレ含む****

公式サイトによるストーリーは、以下の通り。

過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。

“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。
「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。

パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この作品紹介を見たとき、”きっと高台の家族は信じられない闇があって、半地下の家族は富をかすめ取ってやろうとしたのに逆につけこまれるんだろうな~。そして格差の広がりを改めて感じさせられるような作品なんだろうな~”と思ったのに、全然違った。確かに家政婦うさん臭かったけど、地下室怖すぎるでしょ。高台の家族、総合的にいいやつすぎるし奥様は他人のこと信じすぎ、そして社長突然かわいそうすぎるでしょ…。
見終わった直後は「これは希望を描いた、人間讃歌だ」と感じたが、年齢が5.60代の苦しい思いをしている人にとっては絶望の物語だ、とも感じた。私はアラサーで独身で自分に収入があって、自分でまだいろいろなことを決められるから、「計画があるんだ。働いてお金を貯めて、一番にこの家を買う」という息子の気持ちに同調できた。でも、自分の親世代が見たらどう感じるんだろう?半地下の父親のように、年齢が上がるとともに一つ一つドアが閉じられて、行くべき場所、行ける場所がどんどんとなくなって、袋小路に閉じ込められ、そこで薄汚く生きていくしかなくなるように感じられるのでは?
この作品でうまいな~と思ったのは、一人ひとりの人間の描き方に違和感がなかったこと。言い方を変えると、キャラが立っている人がおらず、その年代・社会階層のペルソナとして観客が思いつきそうな人が描かれている。
パラサイトする側の半地下の家族は ・不器用で純粋な息子 ・器用な妹 ・気の強い母親 ・人のいい父 として描かれており、すぐ隣にいても全く違和感がない。一人一人は悪い人ではなく、むしろいい人ですらある。自分たちを脅す家政婦とその夫にもパーティーのご馳走を持っていこうとする。が、家政婦が地下から上がってこようとすると、足蹴にして死に至るほどの怪我を負わすことも厭わない。貧しいもの同士は自らの懐が痛まない限りは助け合い支えあうが、自分の領域を1歩でも犯そうとするのなら躊躇しない。その善良さと残酷さは一人の人の中に両立しており、天秤のようにゆらゆら揺れている。善良さ(笑顔)の裏には、本人たちすら知覚していない抑圧されたなにかがある。そのなにかに突発的に背中を押され、自分でも思っていなかったような行動を起こしてしまう。この映画のクライマックスとも言うべき場面で、半地下の父親がIT社長を唐突に刺し殺したのは、【なにか】に背中を押されたから。それは、
・社会的階層が上の者から下の者への、かすかな嫌悪感(この映画では父親の耐え難い臭いとして表現されていた)
・富めるものとそうでないものの格差(パーティと避難所)
である。
その後に父親が半地下から完全なる地下に逃げ込んだ描写は、彼ら家族の社会的な階層がまた一つ下がったことを意味しているんだろう。
 
****ネタバレここまで****
 
この映画は≪家族≫というワードが使われているので、『万引き家族』的な家族・絆にフォーカスした作品なのかと思ったけど、全然違った。万引き家族が「社会を通じて家族」の在り方を問う作品だとすると、これは「家族を通じて社会を映す」物語だった。

私の解釈があってるのかどうかわからないけど、これからいろいろな人の意見やコメント・分析が見てみたいな。(某おキャットさま映画みたいに)見ても絶対に損はしないと思うので、気になった人はぜひ見に行ってみてください。