2021年に母が乳がんだと診断され、2023年には私自身が人間ドッグの乳腺エコーで要検査になった。結果として母は、紆余曲折を経たものの、信頼できる病院・先生を見つけ、手術を無事に終えることができ、定期検診をする状態に落ち着いている。私も再検査の結果、両性のしこりということで定期検診に通えばいいだけになった。
けれど、母ががんであると診察された時に感じた、突然宇宙に投げ出されたような寄る方のない気持ちを簡単に忘れることはできない。真っ暗闇で、足元には床がなく、平衡感覚を失って、とにかくひとりきりで、体が動かない感覚。
自分の乳に癌がいるのかもしれないと分かった時に感じた、『何も遺すことができなかった。申し訳ない』という、人生に対しての贖罪のような気持ち。
乳がんの情報に敏感になっていたので、西さんの『くもをさがす』を書店の平積みで見た時はすぐに気になったものの、少し読むのが怖い気持ちもあって、すぐには手に取らなかった。けど、暖かい雰囲気を感じ、やっぱり読みたいな、という気持ちになったので買ってみた。
結果、すごく素敵なノンフィクションだった。ガンかもしれない、と感じるところから、寛解するまでにやったことや心の動きが丁寧に綴られていて、自分自身が患者だとしても参考になるし、親しい人の気持ちを慮るのにとても参考になる。読んでいて、彼女が癌に対して恐れを感じながらも、一つ一つの出来事に向き合って、「辛い!」「怖い!」「もう許して」と思いながらも、自分なりに納得のいく決断をしていく様子やなんとか前に進んでいくさまが、とても清々しく、励まされる気持ちになった。
私はこの本を、自分自身や自分の親しい人がガンになったら読み返すだろう。
以下、心に残った文章。
「ドクターはなんていうてるか知らんけど、うちは、かなこがやりたいならやっていいと思ってるで。もちろん、抗がん剤で免疫が下がってるから、感染症には気をつけなあかんけど、自分の体調を自分でチェックして、マンツーマンとか、できる範囲でやったらええんと違う?柔術とか、キックボクシングだけやないで。好きなことやりや?」
私も、彼女を見つめ返した。
「カナコ、ガン患者やからって、喜びを奪われるべきやない。」
p.48-49
母親を見ていても、母親に付き添っている自分自身の心の中を覗き込んでも、「ガン患者なんだから大人しくして、治療に専念すべきである。楽しみよりも、治療することが正義である。」という感情が、確実に内面化されていることを感じる。でも、ガンは主体ではなく、患者や家族、一人一人が人生を歩んでいく主体なんだから、「喜びを奪われるべきではない」。
私はきっと、産後の時のように、実家の母に頼ったと思う。70歳を過ぎた母に家に泊まり込みで来てもらい、ご飯を作ってもらったり、家事を任せたりしていただろう。(略)
でも、日本にいたら、私の方が遠慮してしまったのではないだろうか。自分たちでなんとか出来る、すべきだと、気負ってしまっていたのではないだろうか。それは私の性格というより(私は、人に頼るのがとても得意だ)、日本の風土と関係があるように思う。自分たちでなんとかしないと、それも、家族のことは家族だけでなんとかしないといけない、という考えが、私たちの心身に染み付いているのだ。
p.59
家族以外には頼ってはいけない、という気持ちはすごくよくわかる。私も、自分の家族以外に不安を伝えてはいけないような気がしていた。でも、再検査について親しい同僚にポロッとこぼしたら、「XXさんも毎年再検査で引っかかるって言ってたよ」と言われて、再検査自体が珍しいことじゃないんだって知ることができてすごく安心した。閉じる必要はないのに、閉じてしまう傾向がある。でも、私も誰かが同じ不安を抱えていたら、絶対に支えたいし、正しい情報を伝えたい。
人が死に直面する時、その死は自分だけのものであってほしいと、当人は願う。でも死は幾人かを巻き込む。そのために、あらゆる決断を難しくする。
p.64
ほんとそれ
10月18日 山本文緒さんが亡くなった。膵臓がんとのことだった。山本さんにはお会いしたことがない。お会いしたかった。新作を読みたかった。
p.75
山本文緒さんの無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―も読んだ。すごく、ずどん、と響くものがあった。再読するのは怖いけれど、自分自身や親しい人が癌になったら、きっと読み返すと思う。丁寧に、正直に、ガン患者の気持ちが、綴られている。本当に書いてくださってありがたい、と思った。
ナイジェリア人作家でアクティビストのラヴィー・アジャイ・ジョーンズは、「恐れ」についてこう語っている。
「「恐れを知らない」、というのは、「恐れない」ことではありません。それは、「恐れ」によって自分がやるべきことを減じられることがない、ということです。恐れを感じつつも、前進することなのです。」
p.126
怖くても、先に進むことが、「恐れない」こと。この恐れの定義、すごく好きだ。
治療で辛い時、辛いのは自分の心だ、と思った。治療で頑張っている時、頑張っているのは自分の体だ、と思った。私は自分の心を労り、自分の体に感謝した。そして、そうやっている私は、ではどこにいるのだろう、と、ふと思うのだった。少なくとも、私の心そのものが私ではなく、私の体とは別のところに私がいた。何かが「自分」に怒っている時、その出来事と私には、いつもどこかに一定の距離があった。
辛くて泣いているときや、もう許してください、そう何かにを乞うている時ですら、私は自分のことを離れた場所で「かわいそうだ」と思っていた。私は、いつも「ニシカナコ」を見つめている何かとしてそこにいた。
p.157
この離脱の感覚はすごくわかる気がする。日常生活を送っている今ですら、私は自分の感情をつかまえて自分自身として感じ切るのが苦手だ。
これからもしばらくは、Sの母でいられるのだ。
p.169
母であることの強さを眩しく感じる。私は、母になる日が来るのだろうか。
さて、今、平坦な私の胸は、これ以上ないほどクールだ。そして、平坦な旨をしていても、もちろん乳首がなくても、私は依然女性だ。
(略)
乳房、卵巣、子宮、という生物学的には女性の特徴である臓器を失ったとしても(ちなみに今私は坊主頭だが)、それでも私は女性だ。それはどうしてか。私が、そう思うからだ。私が、私自身のことを女性だと、そう思うからだ。
p.192
不安を覚え始めたのは、幸せな日常が常態化してきた頃だった。バンクーバーの、素晴らしい夏がやってきたのだ。
(略)
私は、いわく言い難い複雑な感情を覚えていた。もう終わった、もう何も心配することはない。その幸せは、表現するのも困難なほどなのに、同時に、体を訪れてくる寂しさは、抗いようがないほど強かった。
(略)
それは静かで、鈍い孤独だった。
がんを告知された直後や治療中、皆は私の恐怖に心から共鳴し、寄り添おうとしてくれた。そしてその恐怖は、真正なもの、とでも言うべきものだった。おかしな言い方だが、「怖がることがまっとうな恐怖」だった。
でも、がんが治り、これ以上ない幸せな日常を取り戻した私の恐怖は、申請ではなく、どこか偽物めいているように思われた。だから、しばらく誰にも言えなかった
p.227-230
癌かも、と不安になったら、正しい情報を得た上で、自分で意思決定をしよう、ね、自分。