Appleに対して小さな抵抗をしようと思った話

私は5年前に海外で購入したiPhone7を2022年に至るまで、ずーーーーっと使っている。

iPhone の新世代発表会があるたびに買おうかな、どうしようかな、と思うものの、買い換えるには至らなかった。

理由は、3つある。

1. あまり携帯を使うタイプじゃないので、壊れてないのに変える気にならない

2. 海外で買った携帯だとカメラのシャッター音が鳴らないので、美術館や静かなレストランなどで重宝するので、買うなら海外で買いたい

3. そもそも携帯に10万て高すぎじゃない?

 

そんなこんなで5年も使っていると、電池の寿命がヤバヤバになってきた。行きの電車で音楽を聴きながら10分も経つとバッテリ50%、ちょっとgoogle mapを開くと15%、帰路に着く頃には息も絶え絶え、、、というところ。バッテリー交換の予約ができるか調べてみると、ちょうど翌日にできそう。バッテリー交換だけなら6000円弱なので、正月のうちに替えちゃおうか、ということでApple Storeを訪問。

感じのいいお兄ちゃんに「2.5時間かかります〜」と言われ、了承してiPhone を預け、映画 キングスマンをみてApple Storeに戻ると、感じのいいお兄ちゃんが「実はお話ししなければならないことがあって、まだ修理が完了してないんです…」と申し訳なさそうな顔で立っている。

お兄さんの話によると

1. 私の携帯は、非正規ショップで画面割れを修理したことがある

2. そのようなショップでは、本来あるべきケーブルの場所がずれて修理されてしまうことがあるらしく、私の携帯も例に漏れず、Apple Storeの修理の方が画面を開けたらそこにないはずのケーブルがあり、Touch IDのケーブル切れてしまった(Touch IDが全く機能しない状態)

3. この場合、バッテリー修理だけでなくスクリーンも変える必要があるので、費用が23000円になる(+17000えん!)

4. どうします…?今ならちょっと安くSEか12か12mini買えますけど…

とのことだった。

 

(いやいやいや待て待て、確かに非正規ショップで画面修理をしたのは私だが、それて全く使えない状態になるリスクがあるならそもそも修理しなかったよ!?そんな説明もなかったよね!?てかそのリスクがあるなら次海外に行くまで修理せずに騙し騙し使ったのに〜!!)という心の声を「ええ〜〜ああ〜〜確かに修理しましたが〜〜ええ〜〜まじか〜〜シャッター音が嫌なんです〜〜😭」という全く論理的でない言葉で伝えると、お兄さん「そうですよね、説明をちゃんとしてなかったので…ただ僕には価格を決める権限が全くないのでマネージャーに相談してきます」と言ってくれる。お兄ちゃん、いいやつだ(←後で私を逆に苦しめる)

 

新しいのを買うべきか…でもでもシャッター音が…てか新しい洗濯機の方が優先順位が高いし…など1人で悩んでいると、お兄さんが5分くらいで帰ってきた。

「本来はフルでいただくのがルールなのですが、そのルールに縛られらのもあれなので、5050ということで半額にさせていただければと…」

 

ここで印象的だったのは、説明しなかったApple Store側に落ち度がある、という言い方をしなかったこと。落ち度がないなら満額請求すればいい、落ち度があるなら認めて全額保証すればいいのに、中途半端な半額サポート。この辺りから私はAppleの持つ思想に対してなんとなーくイヤな感じを持ち始める。

でも同時に、”価格決定権がないお兄ちゃんはそこまでわかってないんだろうなぁ。自分のミスで申し訳ないことになったなぁと思い、上長に相談して、ここまでならいいよと言われたことをそのまま私に伝えてくれているんだろうな。なんなら私がもうちょいごねれば全額負担してもよい、と言われているのかもしれないけれど、申し訳なさそうで私も申し訳なくなってくるな。”という気持ちになり、「わかりました、それでお願いします。」と伝える。兄ちゃん「はい…あー…すみません…そうですよね……」となんだか煮え切らない。(この辺で「ああ、ごねたら全額保証でもOKと言われてたのかな…となんとなく思った。)だが兄ちゃん、気分を切り替えて「では、こちらで修理進めさせていただきますね」ということで修理してもらった。

まあその後も私が事前のOSアップデートしてなかったりとかなんだかんだでいろいろあって、結局想定時間よりも+1時間ちょいかかり、予想より8200円余計にお金がかかって私のiPhoneが私の手元に戻ってきました。

 

修理の間に"なんで私はこんなビミョーな気持ちになっているんだ?"と深ぼってみたところ、<Appleの寡占に対しての抵抗感><”Apple Storeのスタッフの感じの良さ”まで含めてビジネスを作り上げているAppleへの倫理的な抵抗感>が引っかかっているんだろうなあと思った。

 

<Appleの寡占に対しての抵抗感>

お兄ちゃんがマネージャーに聞きに行っている間に私は”どうか全額払えとか言うなよ、Appleのこと嫌いになりたくないんだから、なにかしら提案を持ってきてね…できれば全額保証して欲しい…”と思っていた。でもこの状態って健全じゃないよね?彼氏からDV受けてて「これ以上嫌いになりたくないから今日は殴らないで!!!」みたいな感じじゃない?そんな彼なら棄てちゃえばいいんだよ!

でも、捨てられない、なぜならそれ以外の選択肢がないから。正確に言うと、Android携帯に乗り換えるっていう選択肢はあるんだけど、これだけ多くの人がiPhoneを使っていて、自分自身もiPhoneように最適化されていて、自宅PCがMacとなると、正直AppleーiPhone以外の選択肢はない。いままではそれでいいと思っていたけど、裏を返すとさまざまな決定がAppleに支配されていて、顧客である私たちには自分が購入したもののコントロール権がないと言うことになる。今回も結局想定より高い価格をAppleに吸い上げられたわけだし、なんなら新しいiPhoneを購入する可能性もあった。私がお金を出して買ったものなのに、私のコントロールできない場所で選択肢を奪われて、お金を使わされることに対して、強い抵抗感を持った。大学で貧困問題を学んでいたときに、恩師から教えられた「貧困とは選択肢がないことである」という言葉が頭をよぎった。

 

 

<”Apple Storeのスタッフの感じの良さ”まで含めてビジネスを作り上げているAppleへの倫理的な抵抗感>

もう一つはAppleに限らず、大企業はすべからくやっていることだけれど、スタッフの感じの良さやスタッフの無償の感情労働を自社の利益に還元していることに、なんともいえない、いやぁな感じを受けた。今回私がお兄ちゃんを詰めなかったのは”このお兄ちゃん、いいやつだな。申し訳なさそうだし、しょうがないから払うか”と思っちゃったからである。もしもすごく感じの悪いスタッフが出てきて「満額修理ですね〜もしくは新しいの買うかっすね」と言われた場合「そもそも修理を受けることに対してリスクがあると言う説明を私は受けていませんよね?5年つかっていて画面修理をしたことがないことは修理履歴見ればわかることだし、その間に非正規ショップで画面修理した可能性があることは予見可能なはず。その説明を省いた上で、開けたら使えなくなっちゃったのでお金払うか新しいの買ってくださいって言うのは筋が通らないんじゃないですか?Touch IDが使えなくなったのは説明不足でリスク管理を怠った御社の責任なので、画面修理の代金はApple持ちが筋じゃないですか?それができないのであれば、修理に預ける前の状態に復帰(バッテリー交換せず、それ以外は問題がない状態)させることは、最低限の責任だし、そのリスク管理をミスったのはそちらですよね?」と論理的に詰めたら全額Apple持ちになった可能性はなくはない。でもそうしなかった。なぜなら兄ちゃんがいいやつで、私も”兄ちゃんに免じて8000円くらい払ったるか”と思っちゃういいやつだからである。でも、私の財布から余計に旅立っていった8000円はいいやつであるお兄ちゃんの懐には行かず、Appleの売り上げとして計上されるだけ。結局はAppleという会社を潤わせただけである。

元の元をたどっていくと、そもそも落としたら画面が壊れるような携帯を作るな、画面修理が1万7千円て高すぎだろ、画面修理が高いからこそ非正規修理業者が出てきてAppleもそれを許容しているのに、いざ修理ってなったらそのツケを消費者に支払わせんのかい、、、というところにまで考えが及ぶ。追求していくと、「画面バリバリに割れる可能性あるけどリリースしてOK、画面修理代は高くてOK、ストアスタッフは感じのいい子を採用して楽しい雰囲気でフレンドリーに接してカスタマーとの関係性を構築させてクレームが出にくいようにしよう、顧客対応でAppleにも顧客にも非がある場合は全面的には謝罪せずに5050で支払わせよう」という、こすっからいビジネス判断をしているAppleという会社がやな感じなんだよね。今回の件で言うと、5050を提案させたマネージャーの判断(もしくはAppleのマニュアル)の裏に、利益を最大化させるために私と兄ちゃんの感情が数値化されたような、言い換えると利益のために個人がモノ化されたような嫌な気持ちになった。ちなみに私は最後に退店した顧客だったけど、兄ちゃんが価格の承認を得に行った上長は手元のiPhoneをみていて、退店時に横を通ったのにこちらに見向きもしなかったよ。絶対に私に気付いていたのに、ね。

一歩引いて考えてみると、自分もビジネスでマネージャーとして、無意識にスタッフの感情や”いいやつ”な部分に甘えてるところがあるな、ということをメタ認知させられた。ビジネス判断としては間違っていないかもしれなけれど、人として私はそれは嫌いだ。交渉すること自体は悪いことではないが、何も分かっていないスタッフを矢面に立たせて感情労働させて、自分は裏で利益の計算をするような人にはなりたくない。きちんと全部説明してスタッフが判断できるように育てたり、自分が自らきちんと説明できるような、顧客を馬鹿にしないビジネスマンでありたいと考えさせられた。

 

今回の教訓

・寡占状態に反抗する。おまえんちのトイレTOTOなの?なら俺はLIXILにするわ。

・事前にきちんと更新やバックアップなどは取っておく

・いいやつな自分を失わない。いいやつを都合よく使わない。おまえ、いいやつ、おで、いいやつ。